『あかり』のシンデレラ物語

「あかり」と室蘭の路地で出会ったのは20025月中旬の夕暮れでした。
姉妹猫達と一緒に母猫(のちにサルサと命名)のおっぱいを吸う三毛柄の子猫。
そのかわいらしさに一目惚れしたのです。
近所の住人に尋ねると飼い主はなく、母子共に野良猫とのこと。
離乳するのを待って家族に迎え入れようと心に決めました。

530日、仕事帰りに覗くと空き地の廃材の陰で姉妹とじゃれています。
私の手の届かない奥なので、何とか表へ出て来てもらおうと
猫じゃらしで誘いましたが、姉妹や母猫が反応して出て来るものの
三毛の子猫だけは、慎重深くこちらをうかがうのみ。
猫じゃらしに飛びつくまで、私と子猫の根比べが続きました。
1時間半後...様子を見守ってくれていた近所の方にいただいた
ユニクロの紙袋に入って、子猫は我が家へやって来ました。

翌日、病院で健康であることを確認、ワクチン接種を受けて
2匹の先住猫とのにぎやかな生活が始まりました。
実は。子猫を迎えることで、当時10歳だった先住猫へ負担をかけないか
心配をしていたのですが、トラブルらしいトラブルもなく
3匹は早期に仲良くなり、ほっと胸をなでおろしたものです。

8月のある日、あかりの写真を見た知人が
「この猫はもしかしたらジャパニーズボブテイル(以下JBTと略)として
CFAの血統書を取れるのでは?」と教えてくれました。
JBTはその名前の通り、しっぽの短い日本猫をもとに作られた猫種です。
折れ曲がった短いしっぽの猫は私たち日本人には馴染み深いですが
アメリカ人の目にはとても新鮮に映ったようです。
戦後100つがいほどのボブテイルの猫が海を渡りアメリカへ。
ジャパニーズボブテイルという純血種として人気を博してきました。
しかし、先祖となった猫の数が少ないこともあり
近年「血の濃さ」が問題となっているようです。
新たな血を導入するため、毛色や骨格など一定の基準を満たす日本猫が
新規にJBTとして登録できることになっているのだとか。

今だから正直に告白しますが、保護して家へ連れ帰って初めて
あかりのしっぽが短いことに気がつきました。
短いのも長いのも、それなりの魅力があると思っているので
しっぽの長さも個性のうち、とあまりこだわっていなかったのが
気づかなかった最大の理由ですが、我ながら観察力のなさには赤面です。

その後、知人の言葉をきっかけにJBTに興味を持った私は
登録や申請に向けて勉強を始めました。
もちろん、血統書がなくてもあかりが愛おしいことに変わりありません。
でも考えてみて下さい!拾って来た猫に血統書がつくなんて
考えただけでもわくわくするではありませんか !!
以前よりネットで親交のあった高野氏にメールで相談して
申請に必要な写真や書類を作成、郵送して待つこと約2ヶ月。
10月末に念願のJBTの血統登録証が届きました。
登録書を嬉々として友人や職場の仲間に見せて歩いたのを思い出します。

2003年1月、登録でお世話になった高野氏の主催するキャットクラブの
キャットショーが東京で開かれると聞きました。
登録を機にショーにも関心が高まったのと、お世話になった高野氏に
是非、ナマのあかりを見てもらいたくて、参加を決めました。

見学だけであれば10年以上前から、何度もショー会場へ足を運んでいました。
でも、見学するのと自分の猫を出陳するのとではかなり違うものです。
美しくお手入れされた他の猫達にうっとり見とれながらも
自分の猫が審査で暴れたり逃げたりしないだろうか、と
ドキドキ緊張して過ごした2日間でした。
このショーであかりはチャンピオンになり
ショートヘア部門のファイナル審査に1回残りました。

あかりは家に客人が来た際は怖がって物陰に隠れる臆病な猫ですが
ショーの会場では意外に堂々としており、おとなしいのですから不思議です。
飛行機や列車での移動後でも快食快眠。
宿泊先の宿ではベタベタに甘えて普段よりご機嫌で遊んでいました。
あるいは。家へ迎えた時から必然的に多頭飼いをしてきましたが
本当は1匹飼いで飼い主と11で甘えることを望んでいたのかもしれません。
東京のショーから帰って来てからの数ヶ月、あかりの今後について
いろいろと悩み、考えました。そして「ショー通いの日々」を選択したのです。

20036月から20044月までの11ヶ月間、計20回以上
北海道で開かれるショーだけでなく本州のショーにも参加しました。
9月にグランドチャンピオンになり、4月のショーシーズン終了時には
年間の勝者に与えられるタイトル、リージョナルウィナースに。
JBTとして日本支部の1位、(アメリカを含む)全支部の5
という好成績を残してくれました。

月数回の本州通いはハードスケジュールの連続で
楽しいことばかりではなく、精神的な迷いや不安も多々ありました。
それらを乗り越えて、あかりと二人三脚でがんばってきた結果得たものは
決してショーの成績だけではない、と信じています。
新たに、または改めて知った奥深い猫の世界と魅力の数々、そして「人の輪」
人生の財産であり、末永く心の糧となるものです。

あかりは200468日、お母さんになりました。
お婿さんは遠く海の向こう、アメリカからやってきたJBTです。
ショーのこと、繁殖のこと、猫好き同士が交わすたわいのない猫自慢など
海外の仲間と英語のメールで交流する機会が増えました。
1匹の猫との出会いが生んだ人の輪は
国内外で、まだまだこれからも広がってゆきそうです。

最後に。この一年間、励まし支えてくれたショーの仲間と知人達
助言を下さった審査員の方々...
あかりに関わったすべての人々に心より御礼申し上げます。

あかり、本当にありがとう!これからもよろしくね。



追記:CFAグランド(グランドチャンピオンもしくはグランドプレミア)を
5匹以上輩出した母猫に送られる「DM」のタイトルを200785
日本のジャパニーズボブテイルとして初めて獲得しました!
両親猫が不明な「登録1世代目」のジャパニーズボブテイルのDM
日本に限らずCFA史上でも、あかりで2匹目だそうです。(20078月)

2015年1月17日未明。あかり 遠いところへ。
突然の事に、現実を受け止めきれないでいます。
心の整理がつくまでに長い歳月がかかりそうです...。(2015年2月)

inserted by FC2 system